前編“共創”のはじまり

地場の問屋から、専門商社へ
和歌山店への融資から
始まった、
商工中金との半世紀

東大阪の地場に根付いた釘や針金の卸問屋から、日本有数の商品数を誇る外構、内外装の専門商社へ――。井上定株式会社が歩んできた成長の道は、取扱商品を増やすだけではなく、商流を変え、営業地域を広げてきた歴史でもある。その転機のひとつが、1975年の和歌山店開設だった。単なる一支店開業にとどまらない、「顧客への直接販売」への転換。その挑戦を資金面で支えたのが商工中金だ。ここから始まった両社の関係は、井上定が大阪を越えて広く関東以西へと事業を広げるなか、半世紀以上にわたって続いている。

釘と針金が山積み。立売堀の倉庫という原風景

現在の大阪市西区、立売堀(いたちぼり)。江戸時代は材木売り場として栄え、大正時代以降は金属や機械工具の問屋が集まった街。井上定は、この地で創業した。1936年、線材製品の卸問屋「井上定商店」の誕生である。

戦争中には1945年3月の大阪大空襲で店舗や倉庫が全焼。翌年まで休業状態に追い込まれるも、なんとか生き残った。戦後の1950年には井上定株式会社へと改組。54年には移転していた大阪市西区靱南通(現在の靱本町)から、創業の地・立売堀へ戻り、釘と針金を商材に、大阪を中心として商いを広げていった。

井上定株式会社の創業者・井上定雄氏(右)。左は弟の玉雄氏

当時の釘は、建築現場だけで使われるものではなかった。みかんやタマネギ、酒瓶、はては石炭などを運ぶ容器にも木箱が多く使われており、その木材を留めるために大量の釘を必要とした。台風が来るとなれば建物の補修のための需要が増える。品不足になれば値段も上がる。人々の暮らしに根ざした相場商品としての性質をもっていた。

釘や針金は、大阪の地場産業でもあった。東大阪・枚岡では、水車を動力に、太い鉄線を細くする伸線業が営まれていた。引き延ばした鉄線を切って頭をつければ釘に。線にめっきを施せば針金となる。井上定は、これらの製品を扱う問屋として歩んでいた。

「当時の井上定は、ほとんど釘や針金専門の卸問屋でした。倉庫には、釘や針金が山積み。人が担いで、商品の積み下ろしをしていました」

創業者・井上定雄の次男でのちに三代目社長となる、現会長・井上和雄氏はこう語る。

「昔は、従業員みんなが父を『大将』と呼んでいました。それをある日突然、『明日から私のことを社長と呼びなさい』と言ったんです。これは大変なカルチャーショックでした」

井上会長は、そんなエピソードも語ってくれた。一地場産業の「商店」から、広く商いを行う「商社」へ。家業から会社組織へと脱却する途中の、従業員たちの戸惑いが容易に想像できる。

井上定株式会社 取締役会長 井上和雄氏

現会長・井上和雄が井上定に入社したのは、1971年。大手電機メーカーでの勤務を経てのことだった。当時、井上定の月商は3億5千万円弱で従業員は137人。大阪では有力な問屋だったが、和雄には思うところもあったという。

「それまで勤めていた大きな企業とは、商いの規模が違うな、と感じていました」

ここで、創業のころに時を戻す。実は、井上定が誕生したのと同じ1936年、商工中金もその歴史をスタートさせている。昭和初期の恐慌で中小企業向け金融が細る中、当時の民間金融機関には難しかった長期の貸し付けを担い、中小企業の資金繰りを支えるため、政府と中小企業組合の共同出資によって設立されたのが、商工組合中央金庫(略称/商工中金)である。片や釘・針金の問屋。片や中小企業専門の金融機関。誕生の地も役割も異なる両社が出会うのは、それから約40年後のことである。

卸から直販へ。
商流を越える決断

井上定は早くから拠点の拡大を進めていた。1959年に神戸店、1960年に東京店を開設し、1967年には本社を東大阪に移して東大阪店と堺店を構えた。しかし、後の成長を決定づけたのは、拠点数そのものではない。誰に、どう売るかという、事業モデルの拡張・転換だった。従来の卸売りに加え、施工業者へ直接販売することを決断したのだ。井上会長はいう。

「当社は、卸問屋として、地方の金物問屋に対して卸売りをします。その先には板金工事屋さんや工務店があります。そこに直接私どもが売るのは、本来の流れを飛び越すわけですから、業界としては大変問題になるんですね」

井上定としてはかつてないチャレンジだが、影響を考えると、すべての地域で一斉に直販を開始することはできない。そこで、まず近畿圏で直販を進めることにした。その動きを象徴するのが、和歌山店の新設だった。営業担当者を置くだけではなく、土地を確保し、建物を造る。直販へ踏み出すために、それまでとは異なる資金需要が発生した。

商工中金との出会い創業者の直談判で切り拓いた融資

しかし、和歌山店開設のための資金調達は、そうすんなりとは進まなかった。1970年代前半、日本経済はニクソン・ショックによる円高不況に加え、1973年10月の第一次オイルショックなど、混乱の期にあった。金融引き締めや、日銀の窓口規制などもあり、企業が新たな設備投資資金を得るのは容易なことではなかった。井上定も、当時のメインバンクである都市銀行と交渉したが、融資話は思うように進展しなかったという。

そこで、当時の井上定雄社長は、自ら商工中金の船場支店へ赴いた。井上会長が聞かされていたのは、バイタリティにあふれた創業者らしい行動を伴う記憶である。

「社長が、『もう自分でやろう』と決めて、商工中金の支店長に直接話をしたそうです。当社にとって、大きな設備投資でしたが、このとき商工中金さんにご融資いただいたことが、その後の長いお付き合いのきっかけでした」

和歌山市内へ入る、高速道路インターチェンジの正面で、鉄筋造りの和歌山店の建設が始まった。しかし、創業者の井上定雄は、その完成を見ることなく事故で急逝する。1974年9月26日、まだ68歳の若さであった。

その遺志を継ぎ、長男の井上俊雄が社長に、現会長・井上和雄もこのとき専務取締役に就任。創業者の強力な指導力を失った井上定は、新拠点の完成を目指しつつ、組織として新たな指導体制を模索することとなった。

現在の井上定株式会社の担当は、東大阪支店が担う

安定して付き合える金融機関を求めて

1975年4月、和歌山店開設。いよいよ新しい井上定の商いが始まる。

直販は、和歌山だけに留まらなかった。近畿で支店を増やしながら直販体制を広げ、やがて他の地域でも同様の販売形態を取るようになった。1979年には岡山へ、1990年代には九州へ進出。近畿で始まった拠点網は、関東以西へ広がっていった。井上会長の言葉を借りれば、「会社が卸問屋から直接販売もする問屋へ」と大きく変わっていく。和歌山店開設は、その契機となった。

現在、井上定は関東以西に30以上もの営業拠点をもつ。東は東京から、中部、近畿、中国、そして九州。釘と針金から始まった取扱商品も、エクステリア、建材・板金資材、住宅設備へ広がった。さらには建材の卸・直販だけではなく、鉄道関連施設、工場、店舗などの新築・改修工事も手がける。直販への転換は、販売先だけでなく、各地の顧客に応じて扱う商品と機能を増やしていく土台にもなった。

卸問屋から、直販、そして自社工事まで。拠点を増やすには、そのたびに土地と建物への投資が伴う。井上会長が直販化の最大の課題として挙げたのが、資金調達だった。

「直接販売を進めるうえで最大のネックは資金でした。土地の購入や支店の建設が伴いますから、大変な作業です。その資金需要を商工中金さんにご理解いただき、現在に至るまで後押ししていただいたことが、当社が業態を転換できた一つのきっかけになりました」

井上会長が重視したのは、金利の安さだけにとらわれず、経済情勢に応じて金融機関の融資姿勢がコロコロ変わる時代に、中長期の資金を安定して調達できるかどうかだった。その点、商工中金はパートナーとしてうってつけだったのだ。

「金利や融資姿勢を大きく上げ下げするのではなく、安定した資金を供給していただきました。出先をつくるには中長期のお金が必要です。その事情を理解していただけたのだと思います」

井上会長は、金融機関を単純な優劣ではなく、役割で見ていた。

「どこがよい、という話ではありません。いろいろな金融機関と並行して取引できればいいのに、と思いましたよ。我々のニーズも時によって変わりますからね」

現在の井上定を担当するのは、商工中金の東大阪支店。宮川誠支店長は、井上定を支店における「古くからの大切なお客さま」だと語る。その理由は取引額だけではなく、ともに重ねてきた時間にあるという。

「これだけ長く、一緒に歴史を歩んできたお客さまです。井上定さまとは、何かあった時にまずご相談いただける関係を築いてきたと認識しています」

株式会社商工組合中央金庫 東大阪支店長 宮川誠

一方の井上会長も、長い関係を一つの融資や一度の成功から説明しようとはしなかった。

「一つの出来事で、いまの関係ができたわけではありません。新しいことをご提案いただき、こちらからお願いもして……。それを繰り返してきました。小さなことの積み重ねが、現在につながっているのだと思います」

2026年、井上定は創業90周年を迎え、商工中金も同じ年に創立90周年を迎えた。

二つの歴史が交わったのは、井上定が商流を変え、和歌山に自前の拠点を築こうとした時期である。拠点を増やすたび、土地と建物の資金を相談する。商工中金も提案を繰り返す。その積み重ねが、半世紀を超える関係の土台になった。

ただ、成長局面で築かれた関係は、やがて危機の局面で試される。景気後退、震災、リーマンショック。会社の前提が崩れた時、両社は何を共有し、どう立て直そうとしたのだろうか。

(第2回【中編】に続く)

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