中編“逆境”をともに

逆境を乗り越えて、
危機に強い会社へ
外部環境という荒波を超える。
商工中金と築いた対応力

卸問屋から直販へと商流を変え、拠点網を広げてきた井上定。しかしその成長の過程では、二度のオイルショック、バブル崩壊、阪神・淡路大震災、リーマンショック、そして東日本大震災と、個社の努力では防げない危機に幾度も襲われた。同社が商工中金とともに幾多の荒波を乗り越えてきた歩みを、危機対応の面から振り返る。

企業努力では抗えない「波」が押し寄せる

井上和雄会長が井上定に入社して約3年後の1974年、最初の大波が襲った。会社の舵取りを一身に担っていた創業者・井上定雄社長(当時)が、支店視察中の現場事故の影響で急逝。68歳の若さだった。肝いりの新拠点・和歌山店の完成を見届けることもなかった。

その前後には第一次オイルショックが日本経済を襲った。物不足への不安から建材、鋼材の価格も上昇。さらに金融引き締めで資金調達も難しくなった。経営の中心を失った直後に、市況も、金融環境も急変した。

危機は一度限りではない。バブル崩壊後の長期にわたる景気低迷。阪神・淡路大震災。世界的な信用収縮を招いたリーマンショック、そして東日本大震災――。景気変動も自然災害も、一個人、一企業には避け得ないものである。

井上会長が経営人生最大の危機として挙げたのは、2008年のリーマンショックだった。バブル崩壊後、日本経済全体に広がった不良債権問題は、井上定にも長く影を落としていた。苦境が続くなかで、リーマンショックがとどめとなった。

「リーマンショックでは、主要な取引先がいくつか行き詰まってしまいました。相手からは『応援してほしい』といわれる。支援しなければ当社の業績にも影響する一方、支援を長く続けると、こちらのリスクも上がっていく。経営者として、本当に苦しい時期でした」

得意先を守ると、自社のリスクも膨らむ

卸売業は、商品を仕入れて在庫を持ち、顧客へ掛けで販売する。代金を回収するまでの運転資金は、自社でつながなければならない。主要販売先が経営に行き詰まれば、影響は売掛債権から資金繰りへ、さらには仕入れ先や他の取引先へと広がっていく。

取引を止めれば、長年かけて築き上げた商流を失う。かといって、支援を続ければ回収できない債権が増えるかもしれない。先方の苦境が一時的なのか、構造的なものなのか。どこまで取引を続け、どこで線を引くのか――。単純な正解はそこにはない。判断を誤れば、自社の社員やその他の取引先まで巻き込んでしまう。

しかも、当時の会社の状態は、表面的な決算書の数字だけで説明できるものではなかった。回収の見通しが揺らいでいる債権がある一方、数字にはまだ表れていない営業力、現場で踏ん張る社員たちの力もある。課題も強みも、財務諸表の外側にあった。

支援を行う井上定自身もまた、安定的な経営を続けるために金融機関の支援を必要としていた。そのパートナーとなり得るのは、やはり商工中金だった。井上会長は、ある決断をした。

井上定株式会社 取締役会長 井上和雄氏

「全部見せます」その覚悟が、関係を変えた

井上会長は、商工中金に経営の現場に深く入り込んで支援してもらうことはできないかと頼んだ。外から資料を見てもらうのではなく、出向者が社内に入り、日々の経営状況を見てもらう。井上定にとっては、会社の内情をすべてさらけ出す決断だった。

「決算書だけでは、企業の本当の中身はわかりません。数字に表れない課題、逆に決算書には載らない営業力、社員のやる気。そうしたものを中からすべて見てもらう。そうしたら、もっと親密な取引ができるだろうと。最後は『裸になります。全部見せます。よろしくお願いします』という気持ちでしたね」

井上会長は、出向者にこう頼んだという。「いいことは全部商工中金に報告してください。悪いことがあれば、まず私に言ってください。直すよう努力しますから」と。言い方には井上会長らしい率直さがあった。その根底には、外部の目で課題を見つけてもらい、自社の改善につなげたいという意思があった。

社内に入れば、決算書に表れる数字と、その裏側にある経営の実態をつなげて見られる。同時に、決算書には映りにくい営業力や社員の動きもわかる。資金の貸し手と借り手という関係から、同じ現場を見て判断する関係へ。両社の距離は、より近くなった。

「返済してください」よりも「どう会社を変えるか」

危機対応の過程で、商工中金は出向者を送るだけでなく、外部の専門家を紹介し、井上定の経営改善計画の策定を支援した。外部環境の急変を乗り越えるには、資金面の手当てだけでは足りない。財務と事業の両面を点検し、次の荒波にも耐えられる体制をつくる。そのための「人と知恵」を外部から取り入れたのだ。井上定へ出向し、のちに転籍した現専務取締役・芳原邦光氏は、当時の対応を次のように振り返る。

「商工中金は、金融機関の貸し剥がしが問題になっていた時代に外部の専門家を送り、経営改善計画をつくる道を選びました。『早く返済してください』ではなく、『どうこの会社を変えていくか』を考えること、そこが他とは違ったと考えます」

井上定株式会社 専務取締役 芳原邦光氏

もちろん、返済を求めないという話ではない。回収を急いで事業を弱らせるのではなく、財務と事業の両面から立て直し、力を取り戻させる。商工中金の支援のもと、外部の専門家と策定した経営改善計画によって、井上定はV字回復を遂げた。

資金面の支援も、危機の種類に応じて形を変えて続いた。2008年のリーマンショック時の資金対応、2011年の東日本大震災に伴う二次災害資金、2013年には在庫や売掛債権など、事業の中で生まれる資産に着目したABL(※)による資金枠を設定した。

商工中金東大阪支店の宮川誠支店長は、長い取引の中で見てきた井上定を「一緒に危機を乗り越えてきた企業」と表現する。

「企業には、調子が良いときもあれば悪いときもあります。企業努力だけではどうしようもない外部からの影響が起きたときにも、井上定さまと商工中金とで、一緒に乗り越えてきたという思いがあります」

株式会社商工組合中央金庫 東大阪支店長 宮川誠

井上会長も、金融機関との関係を目先の利益だけでは捉えていない。

「目先の利益と中長期的な利益の両方を追わなければなりません。そのバランス感覚が、当社と商工中金さんで合っていた。金利の高い安いも大事ですが、中小企業にはもっと大事なことがある。商工中金さんは、企業を見るスパンが長いのです」

井上定は、融資だけではなく、人を介して自社になかった知見を取り入れ、総務・財務を中心に経営体制を強化していった。会社の内側まで共有する関係は、危機の処理だけにとどまらなかった。その先に浮かび上がったのが「事業承継」である。

「誰が、どうやって事業を次世代につなぐのか」

両社は次に、会社の所有と経営のあり方そのものを変える、大きな課題へ向き合うことになる。

(第3回【後編】に続く)

※ABL……動産・債権担保融資。Asset Based Lendingの略で、在庫や売掛金などの事業資産を担保として行う融資手法のこと。

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