商工中金のあゆみ

どのような時代であろうとも、
見据えているのは未来の成長

昭和初期の恐慌の中で誕生した商工中金。その後、どのような時代であろうとも、常にお客さま、そして、日本経済の未来を見据え、
「中小企業の持続的な成長を支える」という使命のもと、行動してきました。

1936年~

戦 前

恐慌の中で誕生。

昭和初期、度重なる恐慌により、中小企業の融資を担っていた中小銀行が没落。多くの中小企業が危機的状況に陥っていました。
そのような状況の中、設立されたのが商工中金です。商工中金は設立直後から、普通銀行には困難な長期・無担保貸付を実現。世論の期待に応え、中小企業の窮状を救う金融機能を発揮しました。

1936

  • 06月
    「商工組合中央金庫法」施行
  • 12月
    業務開始。本所(興銀本店内)および札幌ほか6支所開設

1937

  • 03月
    第1回商工債券(利付債)発行

1940

  • 07月
    第1回割引商工債券発行

1944

  • 05月
    本所、東京都京橋区京橋に移転(興銀事務所から移転)

1945

  • 05月
    本所、空襲により罹災
創立当時の当金庫が間借りしていた日本興業銀行本店
(1936年)
第1回割引商工債券
(1940年)
京橋にあった本店
(1944年)

1945年~

戦後復興期

ゼロからの出発をサポート。

終戦を迎え、復興を目指す日本で特に重要視されたのが、国内の生産力向上や雇用創出を生み出す中小企業の成長でした。商工中金は、統制下の緊縮財政による資金調達の苦難に対しても、融資継続のために奔走。
ゼロから出発する中小企業が日本の基盤を支えるという強い思いが、商工中金の前進する原動力となっていました。

1946

  • 06月
    戦後初の利付商工債券を発行

1951

  • 12月
    金庫法改正により、所属組合構成員との取引開始

1952

  • 08月
    全都道府県に店舗設置を完了
戦後再開した利付商工債券(1950年)

1955年~

高度成長期

高度経済成長を支える。

経済成長が前年度比10%を超えた高度成長時代。その発展には国内経済に大きな役割を果たす中小企業の近代化が背景にありました。
商工中金は設備投資を軸とした技術革新を金融面から強力に支援。高い国際競争力を備えた品質や生産性の実現を導くことで、他国が驚異を持って見つめた日本経済の発展を根底から支えました。

1955

  • 08月
    戦後初めての貸出金利率引下げ

1962

  • 12月
    東京都中央区八重洲6丁目5番地1に新本店竣工

1964

  • 10月
    外国為替業務の開始

1965

  • 07月
    日銀為替決済制度に正式加盟

1969

  • 12月
    貸出金残高1兆円を超える

1970

  • 03月
    本支店為替オンラインの完全実施

1971

  • 12月
    債券発行残高1兆円を超える
新本店ビル竣工
(1962年)
オンラインシステム開通
(1970年)
IBM1460電子計算組織を導入(1965年)

1975年~

安定成長期

企業の多様化へ対応。

生活水準向上に伴い製品の高度化・高付加価値化が進展。中小企業は多様化・個性化の道を歩み始めました。商工中金はこの変化を先取りし、貸出・預金先の対象拡大など、様々な金融機能拡充へ挑み、企業ごとに細分化されるニーズへ対応。
中小企業の血液ともいえる資金供給のために、商工中金は未来を見据えて行動していました。

1977

  • 11月
    ユース会等、取引先若手経営者のグループ化推進を図る

1979

  • 12月
    貸出残高5兆円を超える

1983

  • 06月
    ロンドン駐在員事務所を開設(初の海外拠点)

1988

  • 02月
    商工中金全国ユース会を創立(10月、第1回「全国交流大会」を開催)

1990年~

転換期

失われた20年で果たした役割。

バブル崩壊と相次ぐ災害。それは、潤沢な資金のない中小企業にとって非常に苦しい時代でした。
その中で、商工中金は「中小企業の持続的な成長を支える」という果たすべき使命のため、本支店一体となって、中小企業への支援を続けてきました。

1990

  • 11月
    香港駐在員事務所を開設

1996

  • 07月
    マレーシア中金会発足(海外初の中金会)

1997

  • 11月
    各営業店に「中小企業特別相談窓口」を開設
  • 11月
    北海道拓殖銀行破綻

    当時の担当者のことば

    北海道拓殖銀行の経営破たん発表後、当金庫には連日融資の相談が寄せられました。北洋銀行への取引継承が正式に決まらないため、不動産担保などの見直しができないまま新たな資金調達先を探す企業や、新工場の着工直前に拓銀の破たんとなり工事延期を余儀なくされた企業など、地域のリーディングバンクの破たんは、道内企業に大変な混乱をもたらしていました。道内の各支店には本部から応援職員も駆けつけ、寝る間を惜しんでの審査作業と融資決定。最終的にその件数は約800件、金額にして800億円近くにのぼりました。当時は目の前の仕事に必死でしたが、今振り返ると、当金庫のセーフティ機能が北海道に住む人々の生活や経済に貢献できたのではないかと思います。

2003

  • 12月
    地域金融機関との業務協力文書締結を開始

2004

  • 05月
    DDS(デット・デット・スワップ)の取扱開始

2005

  • 03月
    上海駐在員事務所を開設
  • 05月
    「流動資産一体担保型融資(ABL)」の第1号案件実施

2006

  • 02月
    個人向け3年新型定期預金取扱開始(2007年4月、名称を「マイハーベスト」に変更)

2008

  • 10月
    協同組織金融機関から株式会社形態に移行、株式会社商工組合中央金庫としてスタート
新商工中金のオープニングセレモニー(2008年)

2011

  • 03月
    東日本大震災発生
  • 03月
    東北地方太平洋沖地震対策本部を設置(2011年5月13日、東日本大震災対策本部へ名称変更)

    当時の担当者のことば

    私は当時、仙台支店に在籍していました。お取引先の中には、震災により社長が亡くなってしまった企業や、津波で全てを流され、社長が作業着に長靴の姿で融資相談に来られた企業も多くあります。返済条件の変更だけでも、月50件を超えました。また、ガスや水道がストップして事業が行えない企業の方々から「この先1年分の運転資金を貸して欲しい」というご相談の電話も鳴りやみませんでした。「必要な資金を小分けにして速やかに貸出する」という当時の支店長の方針のもと、迅速に実行し、企業の資金繰りをサポートしました。職員自身ライフラインが断たれている中、全員が思いを一つにし、無我夢中で対応していたように思います。

2012

  • 09月
    バンコク駐在員事務所を開設

2016

2018年~

現在、そして未来へ

時代の革新を推進。

経済環境の大きな変化に伴い、商工中金の役割も変わりつつあります。個々の強みを引き出し、支援するために、商工中金自体の革新も求められています。
多様性に富む中小企業の成長・発展のために、商工中金は自己を変革し、新たな機能を生みだしていきます。

2018

2019

2020

  • 01月
    各営業店に「新型コロナウイルスに関する経営相談窓口」を設置(2020年3月、危機対応業務として「新型コロナウイルス感染症に関する特別相談窓口」に変更)
  • 02月
    新型コロナウイルス対策本部を設置

2022

そして、今、この時も未来へ。