輝く地域の中小企業

元祖「ブタまん」の"食べ歩き"で
躍進、横浜中華街とともに生きる

株式会社江戸清

「畑から食卓まで」確かな安全品質管理を目指す

中華街の発展に貢献することが自社の発展につながる

朝陽門(東門)から善隣門へ向かう目抜き通り・中華街大通りに面する「江戸清中華街本店」

 世界有数の規模を誇る横浜中華街。その起源は、幕末の横浜開港時に開設された外国人居留地にある。欧米から多くの商人などが来日するに伴い、多数の中国人も進出。彼らは居留地の一画に集まり住むようになり、唐人町、あるいは南京町とよばれて発展していった。関東大震災や第2次世界大戦、戦後の混乱など厳しい時代もあったが、1955年に復興の願いを込め、「中華街」と大書した牌楼の建設を機に中華街の名前が定着、観光地として賑わっていく。
 日中国交正常化の前年、71年に設立された横浜中華街発展会㈿の初代理事長として、新たな中華街発展の礎をつくったのが高橋柢祐氏。㈱江戸清(山下裕大社長)の現会長高橋伸昌氏(発展会現理事長)の父だ。江戸清は、中華街で127年商売を続け、現在は業務用の精肉一次加工のほか、食肉加工、調理食品の製造・販売を手掛ける。中華街の卸業は、日本人が経営する会社も多い。
 同社は1894(明治27)年、幕張から横浜に移り住んだ高橋清七が創業した。農作物を販売していた清七は、跡取りのいない食肉店「江戸屋和助」から事業譲渡を受け、食肉業を始めた。屋号は江戸屋と清七を合わせ「江戸清」とした。以後、震災や戦災を乗り越え、戦後は近隣の中国料理店やホテルへの食肉卸を中心に業容を拡大した。

ブタまん"食べ歩き"でブームの先駆者に

同社の看板商品元祖「ブタまん」発祥の地

 3代目の柢祐氏は、中華街の観光地化のなか、来訪者が"口福感"に包まれる商品の開発に取り組もうと、中国武漢から料理人を招聘。1年半に及ぶ試行錯誤の末、1989年に「ブタまん」を売り出した。江戸清は豚肉を卸で大量に扱っており、あえて肉まんではなくブタまんとした。コンセプトは「1個で満腹、飽きのこない薄味で、価格はワンコイン」。この巨大ブタまんは人気を博し、まんじゅうを食べながら街を散策する"食べ歩き"ブームの火付け役となる。このブームは中華街の魅力を一層高め、「ブタまん」も観光地の名物として30年続くヒットとなり、今も看板商品だ。

顧客との接点を増やす

品質管理基準をレベルアップ 安全最優先で顧客志向を極める

「顧客との接点を増やすことが今後の経営戦略のポイントだ」と語る高橋会長

 「直接消費者と接する中華まんじゅう事業は、価格を自社で決め、製造工程に責任を持ち、さらには顧客との接点が増える点で、経営の安定に資する。こうした商品を増やすことが今後の経営戦略のポイントだ」と高橋会長は言う。また「食品製造であるからには、まず安全・安心、そして品質が最優先」との強い問題意識のもと食品衛生・品質管理基準をISO22000からFSSC22000(食品安全システム認証)へとランクアップし、「畑から食卓まで」網羅する品質管理を目指す。
 コロナ禍で、中華街はいわれのない中傷・差別を受けることもあったが、一方で熱い応援も受けた。「横浜中華街発展会理事長としても、臆することなく、中華街とお客様とのつながりを守り続ける」と高橋会長は決意を語る。

企業名:株式会社江戸清 スライド

企業データ

  • 中華街本店:横浜市中区山下町192
  • HP:https://www.edosei.com/
  • TEL:045-681-3133
  • FAX:045-681-1688
  • 創業:1894(昭和27)年
  • 従業員:202名
  • 資本金:6000万円

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